大祓詞・大祓式(おおはらえしき)とは
大祓詞・大祓式(おおはらえしき)とは
毎年旧暦の六月と十二月の晦日(みそか)に御所の朱雀門で行われた「大祓式」で皇族以下百官に宣下した祝詞が「大祓詞(延喜式〔927年〕)」です。
(中臣祭文なかとみのさいもん、中臣祓なかとみのはらへとも言われます)
大祓は六月と十二月の末日に半年間の罪や穢れを祓うもので、イザナギノ命の「禊祓」が原型となります。
大祓詞を奏上して、身体や心(精神)に滞った「汚穢(おえ」を、ハラエとミソギでぬぐい去ります。
「ハラエ」は、大麻(おおぬさ)を用いて祓い、「ミソギ」は水で身体を洗うものです。
大祓詞は大まかに、天皇の命により祓の神々に、罪、災い、汚穢を移し、海原に出て流し捨て去る、という内容です。
文体は「宣命体」です。天皇が大衆に降ろした命令ということです。
宣命(せんみょう)とは、天皇の命令を漢字だけの和文体で記した文書です。
そしてその文体を宣命体(-たい)といい、その表記法を宣命書(-がき)、また宣命を読み上げる使者を宣命使(-し)、宣命を記す紙を宣命紙(-し)といいます。
かつて大祓詞は大祓式の参列者に向けて読まれたものでしたが、今日では神に向け奏上するようになりました。
大祓詞-延喜式祝詞から
六月晦大祓 (十二月は之に准へ)みなづきのつごもりのおおはらへ(しはすはこれにならへ)
うごなはりはべるみこたち おほきみたち まへつぎみたち もものつかさのひとども もろもろききたまへよと のたまふ
集はり侍る親王 諸王 諸臣 百官人等 諸聞食へよと宣ふ
すめらがみかどにつかへまつる ひれかくるとものを たすきかくるとものを ゆぎおふともをの たちはくとものを
天皇が朝廷に仕奉る 比礼挂くる伴男 手襁挂くる伴男 靫負ふ伴男 剱佩く伴男
とものをのやそとものををはじめて つかさづかさにつかへまつるひとどもの あやまちおかしけむくさぐさのつみを
伴男の八十伴男を始めて 官官に仕奉る人等の 過犯しけむ雑雑の罪を
ことしみなづきのつごもりのおおはらへに はらいたまひきよめたまふことを もろもろききたまへよと のたまふ
今年六月の晦の大祓に 祓給ひ清給ふ事を 諸聞食へよと宣ふ
たかまのはらにかむづまります すめむつかみろぎかむろみのみこともちて
高天原に神留り坐す 皇親神漏岐神漏美の命以ちて
やほよろづのかみたちを かむつどへにつどへたまひ かむはかりにかはりたまひて あがすめみまのみことは
八百万の神等を 神集へに集へ賜ひ 神議に議賜て 我が皇孫之尊は
とよあしはらのみづほのくにを やすくにとたひらけくしろしめせとことよさしまつりき
豊葦原の水穂の国を 安国と平けく所知食と事依し奉き
かくよさしまつりしくぬちに あらぶるかみたちをば かむとはしにとはしたまひ かむはらひにはらひて
如此依し奉し国中に 荒振神達をば 神問しに問し賜ひ 神掃に掃賜ひて
こととひしいはね こだち くさのかきはをもことやめて
語問し磐根 樹立 草の垣葉をも語止て
あまのいはくらはなち あまのやへぐもをいつのちわきにちわきて あまくだしよさしまつりき
天磐座放ち 天の八重雲を伊頭の千別に千別て 天降依し奉き
かくよさしまつりしよものくになかと おおやまとひたかみのくにをやすくにとさだめまつりて
如此依さし奉し四方の国中と 大倭日高見之国を安国と定奉て
したついはねにみやばしらふとしきたて たかまのはらにちぎたかしりて
下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知て
すめみまのみことのみづのみあらかつかへまつりて あまのみかげ ひのみかげとかくりまして
皇御孫之命の美頭の御舎仕奉て 天之御蔭 日之御蔭と隠坐て
やすくにとたひらけくしろしめさむくぬちに なりいでむあまのますひとらが あやまちおかしけむくさぐさのつみごとは
安国と平けく所知食む国中に 成出む天の益人等が 過犯けむ雑々の罪事は
あまつつみと あぜはなち みぞうめ ひはなち しきまき くしざし いきはぎ さかはぎ くそへここだくのつみを
天津罪と 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪を
あまつつみとのりわけて
天津罪と法別て
くにつつみと いきはだたち しにはだたち しろひと こくみ おのがははおかせるつみ おのがこおかせるつみ
国津罪と 生膚断 死膚断 白人 胡久美 己が母犯罪 己が子犯罪
ははとことおかせるつみ ことははとおかせるつみ けものおかせるつみ
母と子と犯罪 子と母と犯罪 畜犯罪
はふむしのわざわひ たかつかみのわざわひ たかつとりのわざわひ
昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災
けものたふしまじものせるつみ ここだくのつみいでむ
畜仆し蟲物為罪 許々太久の罪出でむ
かくいでば あまつみやごともちて おおなかとみ あまつかなぎをもとうちきりすえうちたちて
如此出ば 天津宮事以て 大中臣 天津金木を本打切末打断て
ちぐらのおきくらにおきたらはして あまつすがそをもとかりたちすえかりきりて
千座の置座に置足はして 天津菅曾を本苅断末苅切て
やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ
八針に取辟て 天津祝詞の太祝詞事を宣れ
かくのらば あまつかみはあまのいはとをおしひらきて あまのやへぐもをいつのちわきにちわきてきこしめさむ
如此乃良ば 天津神は天磐門を押披て 天之八重雲を伊頭の千別に千別て聞食む
くにつかみはたかやまのすえひきやまのすえにのぼりまして
国津神は高山乃末短山之末に登坐して
たかやまのいほりひきやまのいほりをかきわけてきこしめさむ
高山の伊穂理短山の伊穂理を撥別て所聞食む
かくきこしめしてば すめみまのみことのみかどをはじめて あまのしたよものくにには つみといふつみはあらじと
如此所聞食てば 皇御孫之命の朝廷を始て 天下四方国には 罪と云ふ罪は不在と
しなとのかぜのあまのやへぐもをふきはなつことのごとく
科戸之風の天之八重雲を吹放事之如く
あしたのみきりゆうべのみきりを あさかぜゆうかぜのふきはらふことのごとく
朝之御霧夕之御霧を 朝風夕風の吹掃事之如く
おおつべにおるおおふねを へときはなちともときはなちて おおうなばらにおしはなつことのごとく
大津辺に居る大船を 舳解放艫解放て 大海原に押放事之如く
おちかたのしげきがもとをやきがまのとがまもちて のこるつみはあらじと はらひたまひきよめたまふことを
彼方之繁木が本を 焼鎌の敏鎌以て打掃事之如く 遺る罪は不在と 祓賜ひ清賜事を
たかやまのすえひきやまのすえより さくなだりにおちたきつはやかわのせにますせおりつひめといふかみ
高山之末短山之末より 佐久那太理に落多支都速川の瀬に坐す瀬織津比咩と云神
おおうなばらにもちいでなむ かくもちいでいなば
大海原に持出なむ 如此持出往ば
あらしほのしほのやほぢのしほのやほあひにますはやあきつひめといふかみ
荒塩之塩の八百道の八塩道之塩の八百会に坐す速開都比咩と云神
もちかかのみてむ かくかかのみてば いぶきどにますいぶきどぬしといふかみ ねのくにそこのくににいぶきはなちてむ
持可可呑てむ 如此可可呑てば 気吹戸に坐す気吹主と云神 根国底之国に気吹放てむ
かくいぶきはなちてば ねのくにそこのくににますはやさすらひめといふかみ もちさすらひうしなひてむ
如此気吹放てば 根国底之国に坐す速佐須良比咩と云神 持佐須良比失てむ
かくうしなひてば きょうよりはじめてつみというふつみはあらじと
如此失てば 今日より始て罪と云ふ罪は不在と
たかまのはらにみみふりたててきくものと うまひきたて
高天原に耳振立聞物と 馬牽立て
ことしみなづきのつごもりのひの ゆふひのくだちのおおはらへに
今年六月の晦日の 夕日之降の大祓に
はらひたまひきよめたまふことを もろもろききたまへよとのたまふ
祓給ひ清給ふ事を 諸聞食へよと宣ふ
よくにのうらべども おおかわぢにもちまかりいでて はらへやれとのる
四国の卜部等 大川道に持ち退り出でて 祓へ却れと宣る
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